ひとしずくの愛から、無限の愛へ
飯綱山の美しさは30年前と変わりがありません。

音もなく降ってくる雪、眼下に広がる雲海、東の空から上がる太陽、ここいのちの森に残った赤いナナカマドの実をついばみに、鳥たちが木々の間を飛び交っています。


私たちはこの静けさの中に息づいている、たくさんのいのち達を感じています。

脳損傷という重い障害を背負ってしまった娘のさおりは、このナナカマドの木々たちに見守られて育ってきました。さおりはこの37年間、たくさんの危機を乗り越えて、仲間や友人達に助けられて生きてくることができました。

私達が心のことや意識のこと、医療や科学、経済や文学、哲学や教育、そして食事のことや生活のこと、自然や環境、農業や森のことなど様々なことに目を向けてきたのは、さおりのいのちを守るためでもあり、さおりの存在の意味を知るためでもありました。同時に私達自身の苦しみや悲しみはどこからくるのだろうかということを解決したかったからでもあります。

すべてを手放した生活の中で、私達は確かに、何か大いなる存在によって歩まされてきたことを感じています。

昭和50年4月3日、娘の早穂理がこの世に生を与えられました。医師不在、助産婦不在という考えられない医療体制の中で出産時の頭蓋内出血・前頭葉脳損傷という過酷な運命を背負ってしまった娘の存在が、実はその後の私たちの人生を大きく変え、私的な悩みや苦しみから、公共的な世界観まで自らを高めさせてくれたのです。

 加えて将来世代に対する私自身の責任性という課題にも気づかせていただくことが出来「いのちの森構想」として熟成してきました。
人間の苦しみや悲しみも一人一人の意識の有り様からくるのではないか、と感じはじめていた私たちは将来に向かって自らを高めていく「意識の大学構想」というものを漠然と考えていました。

 それはやがて「いのちの大学構想」として進化し、教育・文化・医療・経済・科学等をホリスティックに学ぶという活動にシフトしていきました。

まさしく「いのちの森文化財団」はこの構想の推進母体として誕生してきたと言えるでしょう。

 食の安全は自然農の実践へと進み、5町歩の農地の取得を経て農業生産法人の設立と実践に、教育と医療の統合は「青少年の育成事業」として森のフリースクールの開設へ、医療の生活化は「いのちの森のクリニック」の開設へと深化してきました。

 そして、これらの学びを全生活過程を通して自らのものとして実践していく「いのちの森構想」としてさらに進化していきます。
 「死」を意識した生きがい創造活動や自然環境保全など自らの活動をより公共化し将来世代に対する責任性をしっかりと見据えた活動へと深めていくことが問われています。

一見「不幸」と思われた「ひとしずくのいのち」は、37年の学びの歳月を経て「水輪」のように静かにひろがり初めています。重度の障害を背負った娘の早穂理は一切残されたものなどを受け継ぐことはできませんが、私たちがこの世を去った後は、血のつながりを超えた人々によって、この意識が引き継がれ人類、地球、宇宙全体の調和と進化の為に貢献されますよう心から願っています。

2012年6月
塩澤みどり 塩澤研一 塩澤早穂理